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  「おおきくなったら…」な方々に勝手にリスペクト!を送る、100%自己満足なページです。少しづつ増やしてゆきます。  

 

 

 
  大和田さん   2006・06・14   

 

   
   19歳〜26歳まで、ずっと一人の美容師さんに髪を切ってもらっていました。それが大和田さん。結婚を機に東京のサロンをやめ、故郷の郡山に帰ってお店を開いています。この7年いつかそのサロンに行きたいと夢見ていたのですが、ついに今月、郡山へ出向き、7年ぶりに大和田さんに髪を切ってもらいました。夢見ていた郡山のサロンは福島一のおしゃれサロン!昔話に花が咲いて、とっても楽しい時間を過ごすことが出来ました。
 
 大和田さんに切ってもらっている7年前まで、私は髪型の雑誌なんか見ることも、次はどんな髪型にしようか、なんて考えることもありませんでした。美容院に行って鏡の前に座れば、大和田さんは私の顔を見て、今日はこうするよ、と言ったとたんにものすごい速さでカットを終えてくれ、出来上がりはいつも新しい私。アフロ、ぱっつんおかっぱ、ベリーショートに、スパイラル。周りの人に驚かれるような奇抜な髪型もあったけれど気に入らなかったことは無く、それどころかいつも、そうそう、私ってこうなりたかったのよ、と納得させてもらえるのです。
                 *
 その頃一度、パーマヘアも飽きたかなと思って、今日はストレートワンレンにしてください、と自分から言い出したことがあります。その時、大和田さんは私の顔を見て、「わかった。でもそれはやめよう。今日はもっと別のパーマヘアにしよう。ストレートは今の気分じゃない。」と、秒殺で却下になり、出来上がったのはワンレンとは正反対の、女神のようなものすごいボリュームのロングスパイラルパーマでした。

 昔の自分を思い出し大笑いしている大和田さんに、ずっと疑問に思っていた言葉の意味を聞きました。『今の気分じゃない』ってどういうことだったの?大和田さんはこう答えてくれました。

 「お客さんが鏡の前に座ると、その人の持ってるものとか、良さとか好みとかがこちらに伝わってぱっと出来上がりの髪型が浮かぶ。でも長いこと担当させてもらってる人だとそれだけじゃなく、その人の髪型の変え時というのをいつも意識している。髪型の変え時というのはとても大切なことだと思っていて、
 

その人にとっても、周りの人にとっても、いつも新鮮なその人であるように、と考えている。その時のきよのちゃんにとっては、まだその時が来てないと判断したんだろうね。」

 いつも新鮮なその人、という言葉にドキッとしました。日常の中の新鮮さなんてこれまで考えたこともありませんでした。大和田さんはその人らしい髪型を作ってくれるという評判の、とても人気のある美容師さんでしたが、それはその人の顔かたち、服装やスタイルだけでなく、その人の中に持っているもの、その時のなりたい自分、その人のその時の時間の流れまでも見てデザインしてくれていたからなんだと、初めて気づきました。

 今回の私の髪形は久しぶりのもじゃもじゃパーマ。かなり複雑なテクニックを使っての大作だそうです。本当に久しぶりな奇抜な髪形。でも似合う!そう、私こうなりたかった。顔を小さく見せたいだの、綺麗に見えたいだの、来る前のそんな願望は吹っ飛んでしまいました。そして、ここ数年の私の保守的な態度を見抜かれたようです。これが今のあなたの魅力で、これがあなたのなりたい自分なのよ、と、示唆してくれたみたい。服装も変えなきゃ。メイクも変えなきゃ。日常も人との対し方まで変えたくなる。かっこつけて大人の女ぶっていた私の、心の底に隠れてた本来の願望を大和田さんは露にしてくれました。
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 「本当は東京から来るんで、すごいプレッシャーだったんだから!」と、テレ笑いしている大和田さんは、現在は、この時のような強引さはまったく見せていないそうです。それは、ここ東北の人は東京の人に比べて自分からあまり主張しないため、逆にその人が本当はどうしたいのかを聞き出すことをとても大切にしているのだそうです。

 サロンの中で、鏡の前でお客さんの髪を切るのがお仕事。その影で流行も、新しい技術も常に勉強していて、そしてやってきたお客さんがサロンから出た後のことを何より思い、髪をスタイリングする。数え切れない人の生活をデザインする。尊敬します。リスペクト!

 

 
 
 
     
   清水きよし様   2006・4・10   

 

   
 

(清水きよしさんに宛てた手紙より抜粋)

 昨年十数年ぶりに『幻の蝶』を鑑賞した時、今までと全く違う感動が私を襲いました。号泣し、しばらく座席から立ち上がることができなかったほどで、舞台を見てこんなに感動したのは、本当に久しぶりでした。

 私事ですが、5年前に9年間過ごした劇団を退団し、今は仕事をしながら細々と一人で芝居を続けています。今の生活は、劇団という守ってくれるものも仲間も無く、孤独です。様々な雑多なことにも向き合わなければならず、自由ゆえの不自由さもあります。そんな生活を送っている中、『幻の蝶』の舞台を見ました。

『幻の蝶』の舞台は私に、―幻の蝶を見つけてしまったものは、虫かごに入っているモンシロチョウやルリチョウやアゲハは、殺さなければいけない―ということをつきつけてきました。幻の蝶を追うためには、人間は捨てなければならないものがあると。川からあがって虫かごから死んだ蝶を捨てた少年が前を向いたとき、私には彼の表情が、決意した大人の顔に変化したように思えました。一人の人間が他のすべてのものを捨て、たった一つのものを追うことを決意した瞬間、その姿を目の当たりにした気がしたのです。

 自分の進んでゆく道をはっきりと提示された、と思いました。蝶はつかまえたと思ったら、幻としてまた逃げていってしまうかもしれない。それでも一生を通して追いかけ、もしかしたら崖から落ちて死んだ後、自分が蝶になれる…。かもしれない。

 清水さんのつくる物語はすべて、人間の自由と束縛のリスクをつきつけてきます。花を手折って所有してしまったものは、そこに束縛され動けなく

 

なってしまう。逆に『たばこ』の老人は自由な生活をしているが、心の奥にそうさせる思い出を持っていて、その孤独が痛いほど伝わってきます。自由と束縛のどちらにもリスクは必ずついてまわる。しかし、そのどちらを選ぶのか?あなたは?と問いかけてきます。

 最近は歌でも映画でもどちらを向いてもここちのよい子供だましのものばかり…と、憂いていたのですが、清水さんの舞台を見て、本当に大人のための芸術がここにあった!と感動しました。ここに、本当に高い水準で人間を描こうとしている人がいる、それを伝えていただいたことが、非常に勇気になり、嬉しくてたまらないのです。もちろん私がようやく大人の入り口に立ったからわかったのだと思います。大人になって良かった!それに、『いのち』という作品は、まだ30代の私には理解できず、もっと歳をとればきっとすごく面白いに違いない、それがわかる日がきっと来る、ということも、楽しみでならないのです。

 パントマイムは体を訓練し、非常に高い技術と精密な計算の先に本当の開放があるのでしょうか。清水さんの舞台は、作品行為とお話の内容が非常に密接で、見るものに、まったく嘘が無いと思わせるのは、そのせいのように思いました。私はといえば、ただただ幻の蝶をみつけたというだけの状態ですが、自分の目指す先に歩いている人がいてくれる、勝手にそう思って奮起しております。
 
今後も清水さんの舞台を楽しみにしております。感動と勇気をいただくために。次回も、その先も、そのずっと先も、心から楽しみにしております。
 
心からお礼を申し上げるとともに、今後のご活躍もお祈りしております。
2005年6月3日

 
 
 
     
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