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心の底に起こったけれども言葉に出来なかったこと、言葉になったけれども口に出せなかったこと。銀河鉄道の夜で学者達がプリオシン海岸を発掘するように、私も自分の心から発掘したことをせめてここに並べたいと思っています。

 
 
 
  A 「 3 」  

 

 演劇の俳優、などのパフォーマーが舞台に立つとき、「その場に身を投じること」と「自分が今どのようにあるべきかという判断」の2つの意識が同時に存在している。恩師である広渡さんは、いつもそれをラグビーデンケンという言葉を使って語っていた。ラグビー選手がボールを持って走りながら考えるように、考えることと行うことの両方を同時に進行させるということだ。『見る前に飛べ』という有名な言葉を借りるなら、『見たと同時に飛べ』ということになるだろうか。もっとも、「考える」という言葉にはスピード感が無いので、「判断する」の方が相応しい言葉に思えるが。二つの意識の同居は、パフォーマーには欠かすことが出来ない。逆に私の場合、その二つが同時に無い場合は、本番にしろ稽古にしろ、集中していないということになる。

 パフォーマーはみな、日常生活から考えると不思議に思えるような体験をしたことがあると思う。舞台に立っている自分を外から眺めたことがあるとか、他の事を考えているのに手が自動筆記しているとか。それは芸術家に限られたことでなく、スポーツ選手やレーサー、学者などの職業の人たちも経験するらしい。共通項は、十分な準備の上の勝負所、ということなのだろうか。私も同様、意識がぱっくりと二つに分かれる、という経験が何度かある。それをもっともはっきりと経験した日のことは忘れることが出来ない。その日いつもの作品のいつものシーン。私の役と相手役が始めて出会うという設定の場面で、向こうからやってきたいつもの顔を、私は役として[初めて見た]のだ。

 役にになりきるなんていう幻想は好きじゃないが、そうとしか説明できない。そしてもっと驚くべきことに、そんな自分をみつめているもう一つの意識もはっきりとあって、その私は、そんなことが起こっているということに、ものすごく驚いていた。役の感情とそれを見つめる意識、舞台上の私の中に、異なる2人の意識が、まるでモンゴルのホーミーのように同時に進行していた。こんなことが起こるだなんて!人間の脳みそってものすごい!舞台は私にとっては非常につらい苦しみの場であるが、それら全てチャラにしても有り余るほどの快感だった。
 
 何度かのこういった経験からわかったことがある。一つは、こういう状態は、やるべきことだけに究極に集中し、追い詰めた果てに奇跡的に振ってくるということだ。決まった方法で必ずやってくるというわけではないということ。もうひとつは、「その場に身を投じること」と「客観的な判断」というのは、50:50ではなく、100:100で存在しえるということだ。客観と主観、だの、理性と感情、だのの二極の中間点に自分を置くということではない。そうすると、これまで習慣のように使っていた、[ものごとを二極に分けて考える方法]が、がぜん役に立たなくなってきた。

 その突破口が見え始めたのは、初めて一人きりで公演をうつことになってからだ。一人きりで公演を打つということは、単に一人芝居という意味ではまったくなかった。実際に舞台を作る上で指針となる演出家の役割を出演者でもある私がしなくてはならない。自分を常に客観視しなくてはならない難しさを覚悟して臨まなければならなかった。

 しかし蓋をあけてみると、演出家以上に困難な仕事があった。それはプロデューサーとしての仕事。制作的な諸作業や外部の人と交渉するというたいへんに責任の重い仕事以前に、企画を立ち上げ、それを推し進めるという覚悟が大前提だ。臆病な私にとって、もっとも苦しんだポジションだった。でもあの一人きりの公演を終えてから、このプロデューサーという役割は、実際のプロデューサーが他にいようがいまいが関係なく、実はパフォーマーに欠かすことの出来ない3つ目の重要な要素であるという思いが強くなってきている。2つの意識ではなく、3つの意識を持つということ。そう、[2]ではなく、[3]という概念。

 俳優は巫女のような仕事だ。おのれを捨てて神にその身を捧げる巫女のように、無心になって作品とお客様をつなぐトランスレーターになりきること。しかし同時に、俗でなくてはこの世に作品を渡すことは出来ない。この不純な世界で不純な自分を抱えたまま生きてゆくことは、絶対に避けられないし、俳優に欠かせない要素であるとも考えている。しかし舞台の上には欲望や主張は持ち込んではならない。そのときにこの3つめのプロデューサーの意識がキーになる。

 「プロデューサー」と私が呼んでいる部分は、欲望を覚悟に置き換える作業のような気がする。私は今こう言いたい。これを表現したい。それをしなさい、と、プロデユーサーである私は命令する。演出家である私(客観性)は、それを最もふさわしい方法を見極め、俳優の私を動かす。そして俳優である私は、それを成し、そこで感じるだけの器官になりきる。冷静な判断(演出家)と身を投じる(演者)だけでは足りない。そこにプロデューサーという3人目の私を独立させることで初めて、我欲の混じらない演者の私を立たせることが出来るのだ。駆け引きも野心も欲望もすべて背負って舞台に立つ私を守るこの3人目の私。この三人目の私は舞台上の二つの意識を無意識下に隠れて、非常に強い覚悟によって、集中に欲望を混じらせないという役目を果たしているのだ。

 舞台の上で起こった[3]という概念。しかしきっと他のことにも役立つように思っている。3という数が、これからの私の人生をもっと豊かにしてくれるように思える!いつか善悪を三枚におろせる日が来るのを夢見て!

 
  2007・03・20  
 
 
  @うそをついて生きている  

 

 私は自分にも他人にもうそをついて生きてきたと思っている。それに気づいたのは、今から3年半前、30歳の冬。ぼんやりと心にただよっていたものがやっと言葉になった。自分にうそをつく、という言葉。ドラマやなんかで常套句として聴いていた言葉が、まさか自分のことだったなんて、新鮮な驚きの瞬間だった。それ以来、自分のうそとほんとうについて探りながら生きている。

 私の場合、自分につく「うそ」というのを、自分の心や体におこったことを意識のところまで持っていかないことだと定義している。感情や体験を、無意識の部分にとどめてしまうこと、知覚しないこと。しかし同時に、そういううそは避けられないことでもある、とも思っている。自分にうそをつかない人間はいないと思う。人間だけではなく生き物、動物も植物にでさえ、生存してゆくためにはうそが必要な時はあると思う。自分の感覚を麻痺させなければつらくて生きていけないことは絶対にあるし、私自身、20代のころは、そうしなければやっていけない弱さがあった。しかしそれが習慣化されると、うそとほんとうの違いがわからなくなってしまう。雪だるま式にうそは膨れ上がって、今自分が何をすべきかの判断ができなくなっていた。

 私は心のリハビリを始めた。心や体の中で起こったことを意識の部分まで持ってゆく時間を少しでも短くしてゆく訓練を続けている。100年かかっていたことを10年に。10年かかっていたことを1ヶ月に。いつか「同時」になるように、日々1秒ずつ縮められるように努力している。

 最近、やっと、自分へのうそだけではなく、自分の外側へのうそについても考えが及ぶようになってきた。自分に素直に向き合い同時にそれを表せる体になりたい。そう思い始めた時、「ナイーヴ」という言葉が、思い出されてきた。以前私が所属していた東京演劇アンサンブルの演出家広渡常敏の演技論の中核をなす言葉だ。「NAIVE」とは直訳すると、愚直とか、馬鹿正直とか、傷つきやすい、など、負のイメージに訳される言葉らしいのだが、広渡常敏は、それこそが俳優に求められる生き方であると唱えていた。ナイーヴな演技はナイーヴな生き方からしか生まれない。だから、俳優の仕事は生き方を探ることであるともずっと教えられてきた。劇団では常に語られていた言葉だったが、今思えば私はほとんど理解しておらず、そして重要視していなかったのだと思う。

 劇団を離れて年月が経ち、自分のうそに向き合うようになって、昨年、広渡さんがある有名俳優をナイーヴと語っていると耳にした。きっとそれまでなら聞き過ごしていたであろうが、タイミングだったのだろう、私はすぐにその人の出演作を見てみた。驚いた。それはまさにナイーブな演技であった。彼は、相手の心に、役に、脚本に、作品に、直球でぶちあたっていた。その俳優の真摯な姿勢は、セリフの意味を超え、見ている私の胸を打った。今までナイーヴな演技というものがどんなものかわからなかったのだが、それは当たり前で、自分自身にでさえ率直に向き合うことを避けてきた私には理解できるはずがなかったのだ。彼の演技を当たり前のようにナイーヴであると感じたとき、それは私がもっともできないことであり、そして憧れてやまない生き方であると、自然に理解したのだった。

 広渡さんの言うNAIVEをまた別の言い方で言う人の言葉もそれからずんずん入ってきた。吉本 隆明はそれを、「逸らさない」という言葉で書いていた。逸らさない人。私は逸らす人であった。別の演出家が、優れたピッチャーはカーブよりも、まず直球がすごい、それはピッチャーと直接向き合えるかどうか、ということだ、と言っていた。直球。それもNAIVEと聞こえて来た。
 ナイーヴとは、意識と無意識の間にうそを滑り込ませない生き方なのではないだろうか。あかにまみれた自分の自尊心を捨てて、傷つくことを恐れない率直さを持ちたい。

 自分の駄目さを深く思い知るとき、暗い気持ちは伴わず、晴れ晴れとした希望がやってくる。それこそが人生の喜び、歓喜であり、未来がぱっと眼前に拡がる瞬間だ。

 ナイーヴへの道は遠く、いまだに日々うそまみれだ。しかし、ナイーヴでありたいと感じたとき、ナイーヴではないというこの障害は、私にとって大きな財産であると感じている。

 
  2006・04・17  

 

 上の文章を今読み直して進展がある。それは、無意識に留めておいたものを意識に浮かび上がらせるまでに、時間をかけるべき時もある、と今では思っているということだ。日常の中で感じたことの中には、言葉にするまでに熟成させる必要があることがある。すぐに言語化させてしまっては、その本質を失ってしまう恐れを持つ場合もある。分析し、単純化してしまうことで、深く感じることを避けようという心の動きはあるが、それはやはり危険なことだ。十分に熟成され、相応しい時期に言語化する。それを重ねてゆけばよいと思う。 分析人間、などとからかわれもするが、それは、所詮私の意識ごときに絶対に分析されない、大切なものがきっと無意識の中に残り、私を形成しているのだろう、と信じているからだ。そのためには言葉に出来る単純なことはどんどん外に出してしまいたいのだ。

 
  2007・03・20  
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