ookikunattara 大きくなったら  
home stageinfo workrispect! pliocene

   
 

アーティスト クボザイクさんが sora-tarokouza に寄稿してくださった文章です。

   
 
鈴木清乃さんの一人芝居「フィエスタ」感想
   
 

8月3日(金)
鈴木清乃さんの一人芝居「フィエスタ」へ
職場から直行する。

今回注目する点は、鈴木さんのブログを拝見するところ、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
今回の『フィエスタ』は、山田詠美さんの短篇小説を
そのまんまセリフとして上演するという試みです。
一人称とはいえ、やはり小説は戯曲とは違い、
演劇化するには工夫が必要で、
重箱の隅をつつくような細かな稽古を続けています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
鈴木さんのブログから引用

短編とはいえ、小説のセリフを脚色せずにそのまんま上演するという。

鈴木さんとは、横トリでお会いしたことがあるのだが、
ほとんど面識がない。
たぶん、そのときにも一言も会話していないじゃないだろうか。
僕は、そのような関係のほうが公平な目で作品を判断できるし、
純粋に何も考えないでお客に徹する事が出来るので
楽しみにしていた。
それに遠慮のない文章を書いて、たとえ嫌われても、
しがらみがないな、どのように感想を書くかワクワクしていた。
ある程度、距離感があった方が純粋に作品評価が出来る。
また、一人芝居を今まで見た事がなく、強いて言えば、落語、
講談は行ったことあるが、芝居とは違うだろう。

前置きはこれぐらいにして、
会場は、2,30人ぐらいの客席で一直線に二列舞台に向かっている。
舞台が中央にあって、舞台外の周りに服が散乱している。
全身白い衣装にまっきんきんの金髪で鈴木さんが現れる。
勘の悪い僕は、一人称で語られる主人公の意味がわからず、
つじつまも合わないので、どうしようかと思った。
芝居についていかないと、講談や落語と同様に、最後まで
ずれてしまう。
幸い、つじつまが合わないのは、仕掛けで、
途中からもう一人の主人公が出る。
自分の存在が、ある人物の感情という抽象的なもの
であるとわかってから、会場の感じや衣装の意味がわかる。

実体のない人間の感情を擬人化して鈴木さんは演じていた。
語り手がいないので、状況説明も含めてストーリーは進んでいく。
主人である人間の「欲望」演じているんだけど、
「欲望」充たさないでいるので出番がなくて、イライラしている。
しかし、すぐに「欲望」を充たす最近の若者にも、共感できずに
主人を陰ながら観察している。

オチはここでは書きませんが、芝居もストーリーも面白かった。
あれだけ、引き込まれる語り口になるのは、余程の練習されたのだと
見ていて頭が下がりました。
一時間ぐらいぶっ通しのセリフを空で言えるだけでもすごい。
この話しを知人に言ったところ、
原作を持っていって、
「そのとおり言っているか照らし合わせてみればすごかったかも」
って言っていた。渡鬼の橋田壽賀子先生もびっくりじゃないかな!
ただセリフを覚えるだけじゃなしに、芝居も良かったし、
セリフが耳に入ってきて、展開も予想外でノレた。
舞台の工夫も面白い。
感情の伝達があると、電飾がテカテカ光ってくるのもなんかかわいい。

批評としては、ダメ出しを書いた方がいいのだろうけど、
すごく面白かった。
次の鈴木さんの作品も見てみたいという感想です。
一ヶ月経過してもこれだけ書けるのだから、
印象に残っている証拠ですね。
いやー良かったですよ一人芝居。
本人大変そうだけど、
本人が自由に出来るってのが魅力ですね。

 
2007年9月5日(水)寄稿
Copyright(C)2006 Kiyono Suzuki Ltd. all right reserved.

 

inserted by FC2 system